IE9ピン留め

チョンドン教会訪問(韓国)


韓国のソウルにあるチョンドン第一教会を訪問しました

わたしたちの教会を祈り支えてくださっている方々と

お会いしました



日本の教会は愛されてます
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# by tshinshoag | 2012-01-19 13:49 | 教会 | Trackback | Comments(0) 

2012年元日礼拝


 2012年元日の礼拝を日曜月曜礼拝に来られている方々と共にささげることができました

礼拝堂がいっぱいになりました

今年はイエス様にもう一度立ち返って
歩む1年でありますように
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# by tshinshoag | 2012-01-01 13:56 | 教会 | Trackback | Comments(2) 

辛いこともあったけど、感謝な1年でした

クリスマスには、たくさんの方が来てくださり、普段教会へはお見えにならない方々も来て下さり感謝でした


クリスマス礼拝後、洗礼式がありました


幼子の信仰告白

感謝でした

いろんなことがあって、動揺した年でもありましたが、神さまにあって守られて感謝です

家族でいられることや兄弟姉妹といられること 本当に貴重なときだと再認識させられました

今年1年お世話になりました

来年が皆様方にとって、よき年となりますことをお祈りしています
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# by tshinshoag | 2011-12-30 16:21 | 教会 | Trackback | Comments(0) 

クリスマス現在進行中

明日の夜はキャンドルサービスがある

今週の月曜は月曜礼拝のクリスマス会があった

昨日は韓国語教室の方々と、チヂミで感謝会

ある方がみかんでこんなものができますと・・・



かんざし だそうだ。

こんなの見たの初めて

わいわい楽しく、クリスマスを過ごしている

今年はいろいろ合った年だから、クリスマスのときくらいは笑っていたい

神さまがくださった、すばらしいとき

光はやみの中に輝いている やみはこれに打ち勝たなかった ヨハネ1章5節

晴佐久神父の説教を以下引用します

イエス様の誕生物語をよくよく読んでみると、本当にどうしようもないくらい真っ暗なところにイエス様は生まれてきます。今はクリスマスの飾りを派手にして、馬小屋までピカピか光ってますけれど、実際のイエス様の誕生はどれほど真っ暗だったか。

カンテラの明かり一つもなかったかも知れない。本当に真っ暗だったと思う。そもそも身重のマリアが旅に出なければならない。これは本人にしてみれば大変なことです。「もしもできることならば安静にしていて、充分に準備して我が家で子供を産みたい」母親ならば当然そう思っていたはずです。けれども突然のように「住民登録をしろ。本籍地まで旅に出ろ」そう言われて、もう10ヶ月になるようなお腹を抱えたマリアが旅に出なければならない。「どうしてこう思うように行かないんだろう」マリアもヨゼフもきっとそう思ったに違いありません。けれどもこの「思うように行かない」その闇にイエス様が生まれてくる。これはやっぱり神様の私達への特別の関わり方だと思っていいと思います。


どうしても思うように行かない。そこへ救いの光が輝き出すのです。その思うようにいかなさ加減も、暗ければ暗いほど救いのともしびが明るく輝く。マリア様がロバに乗って、ヨセフが手綱を引いて旅をする絵を見たことがあると思いますけれども、僕は実際にはそこまで恵まれてもいなかったと思います。そんな金もなかっただろうし、多分大きなお腹抱えて一生懸命歩いていたんじゃあないか。岩山を登ったり降りたり。その上、ようやくベツレヘムに着いたら泊まるところもない。陣痛が始まる。馬屋のような所で「ここでもいいから」といって生まれて初めての子を産む。「どうしてこう思うように行かないんだろう」きっとそう思ったに違いない。夢を打ち壊す、思い通りに行かないその闇。皆さんもいっぱい経験しているはずです。


「もっとこうだったらいいのに。神様もっとこうしてくれたらいいのに。」そう思うこと。マリアとヨセフも思い通りに全然行かないで、どんどん悪い方に悪い方に向かっていって、仕舞いにはノミやシラミが飛び交っているような臭い馬屋に転がり込んでの出産です。お湯なんか沸いていないんでしょうね。ボロい布が何枚かあるだけのところで、不安と恐怖に駆られながら、必死に祈りながらマリアは始めての子を産んだのです。おそらくへその緒を切ったのはヨゼフだと思います。もしかすると命の危険があるかも知れないような、そんな状況。それでも神様はそんな思うように行かない闇のまっただ中に、どうしても救い主を送りたかった。この神秘を皆さん方はこの暗い夜に、深く深く心に刻んでいただきたいのです。

 思うように行きたいですよね。私達。それは誰でもそうでしょうけれど「どうしても思うように行かない。こんなことだったらもう何もしなければ良かった。」とか仕舞いには「生まれてこない方が良かった」とか、そんな闇の底に神様が「いいや違う。やっぱりあなたは生まれてきて良かった。そんな闇の底でこそ、あなたの素晴らしさが輝き出るんだ」そう言って救い主を与えてくださる。

天使が「今日あなた方のために救い主がお生まれになった」と宣言しました。その「あなた方」というのは、まさしく今日闇の中を必死にウロウロとオロオロと生きている皆さん方のことです。この夜高幡教会に来る闇も相当暗かったと思いますけれども、皆さん方の今年一年の人生も相当暗いことがいっぱいあったんじゃあないでしょうか。しかしその人生は今日皆さん方がここに歩いて来たように、救い主に向かっての人生であり、救い主を迎えるための一年であったはずです。不安の中でがっかりして「もうダメだ」と思うようなことも幾つもあったかも知れないけれども、西暦2000年のクリスマス深夜に私達は神の恵みによってここに集まって参りました。闇の底に輝き出るまことの光を信じているからです。

 イエス様の誕生2000年をお祝いしているこのクリスマスに灯した光が、これからもいつまでも消えることがなく皆さんの心に灯っているように、お互いのためにも祈り合うべきです。これからもまたまた思うように行かないことがたくさんやってきます。「もっとこうだったらいいのに、何故神様」というようなことが次々とやってきます。そのたびに私達はこのノミ・シラミの中で始めての子を産んだそのマリアの信仰と、その闇にこそ救いを与えてくださった神様の深い愛を思い起こしてほしいのです。


「あなたがたのためにお生まれになった」という意味は非常に具体的です。言い換えるならば「あなた方の今日の悩みのために救い主がお生まれになる」そういうことです。病気で苦しんでいる人がいるならば、「その不安と孤独の内にこそ救い主がやってくる」そういうことです。こうして皆さんの顔を見ていると「ああこの方のご主人も今病気で大変だ。ああ、この方のお母さんも病気で大変だ」と、病気の家族を抱えている方の顔がいっぱいあって、僕は「できることなら念力か奇跡でも起こしてその病気を治してあげたい」正直、そんな気持ちになります。

けれどもよくよく考えてみると「病気が治ってそれで全てオッケーか、それが我々の究極の目的か」と言うと、そうではないでしょう。むしろ神様がこの病気という闇の底にお生まれになって、その神様を私達が受けとめること、闇の中にあっても神様の光が私の心に灯ること、それが一番嬉しいこと。それこそが私達の救い。病気が治ろうが治るまいが、「今私の所に神様の輝きがやってきた」とそう信じられることが私達の喜びです。闇が深ければ深いほど、小さなともしびでもとても美しく輝くという、この逆説のような神秘をどうかこの深い深い夜に自分自身の信仰として心に灯していただきたいです。

 一人一人の今日の闇。皆さん方はどんな闇をお持ちでしょうか。祝福されたその素晴らしい闇にイエス様がやってこられたことを、あえて喜んでください。天使は言いました。「恐れるな。今日あなた方のために救い主がお生まれになった」。ここに集まった私達が救いの神秘を固く信じて心を一つにしてミサを捧げ、「きっと今病床にあるあの方この方も、信仰の闇の中で苦しんでいる方も、今辛い思いをしているあの人この人の所にも、救い主が必ず生まれてくださる」とそう信じて、このミサで奇跡を起こしましょう。この祭壇の周りにこうしてたくさんのロウソクを灯しましたけれども、これは一つ一つ、今日ここに来られなかった方の代わりに灯したものです。このともしびのように全ての人の闇に光が生まれていると信じて、奇跡を起こしましょう。もはやそれは人の目には不思議なことでも、神様のわざです。(2000年12月25日のミサより)
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# by tshinshoag | 2011-12-22 14:43 | 教会 | Trackback | Comments(0) 

第35回徳島市民クリスマス



昨日第35回徳島市民クリスマスが開かれました

講師は村上宣道牧師

今年も手話賛美チームがご奉仕しました


# by tshinshoag | 2011-12-05 13:21 | 教会 | Trackback | Comments(0) 

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